[No.95] 2009/11/20 (Fri) 12:18
御馬下の角小屋
陣内病院患者会‘りんどう会’の毎月の恒例行事、
りんどう会健康ウォークが行われました。

四季折々、郷土の名所旧跡を巡りながら皆でウォーキングしちゃおう!というこの月例企画、
今回は、熊本市の北部にあります御馬下の角小屋を目指します。

こちら ‘みまげ の かどごや’ と読みまして、
江戸時代に庄屋を務めるかたわら質屋と酒屋を営んでいた堀内家の邸宅です。

在郷有数の商家のお屋敷ということで、
日本古来の重厚な木造建築や、土蔵の白壁の落ち着いた風情はもちろん、
お庭も素敵。

江戸時代、細川・島津の大名は、この屋敷を
参勤交代の道行きの休息所として使用されていたのだそう。

あの篤姫が徳川家へ嫁ぐ時に鹿児島から江戸へ行く途中に休息に立ち寄った屋敷として
ここ数年、観光スポットとしてにわかに脚光をあびているところでもあります。
邸内では、橋本正勝館長がこの邸宅について丁寧に解説してくださいました。

館長が語ってくださったエピソードの一つにまつわる
邸内のある場所の写真がこちら。

これ、なんだかわかりますか?
女性用の厠(かわや)であります。
篤姫が徳川家へ嫁ぐ時に鹿児島から江戸へ行く途中
休息にこの邸宅に立ち寄った時に、供されたスイカを非常にお気に召されて、
3度お代わりし、その度にこの厠へ行かれたんだとか。
橋本館長にはいろんなお話をご解説いただいたと思われるのですが、
今回、参加した方々の口から一様に語られる土産話がすべてこの厠の話でした(笑)。
奥の間の掛け軸に描かれた篤姫も苦笑いかも。
また、この堀内家は、海軍体操の創始者として知られ、
海軍落下傘部隊長としてインドネシア攻略を指揮した
堀内豊秋海軍大佐の生家でもありまして、
この堀内大佐にまつわる資料も展示されています。
先進国が占領地で現地住民に対して愚民化政策をとっていたあの時代にあって、
堀内大佐らは、インドネシアの将来の独立を見越した教育、軍事教練を施すなど
現地住民を尊重した軍政を行い、住民から感謝状を贈られています。
敗戦を迎え日本軍降伏撤退後、
再占領をねらうイギリス軍とオランダ軍の上陸を契機に、
インドネシア人の独立戦争が始まりますが、
この際、日本に帰国することなく、この独立戦争に身を投じ、
インドネシアの人々と共に戦った日本兵が約2,000人おり、
その半数近くがその戦いで命を落としている事実はよく知られるところです。
独立を求めるインドネシア軍との4年間にわたる苦しい戦いを強いられたオランダは、
この戦中、堀内大佐を、B級戦犯として処刑しています。
この処刑にのぞむ堀内大佐が家族に遺したことば

(↑クリックすると拡大表示します。)
時代に翻弄されながらも己の信じる処に従ってまっすぐに生き抜いた
郷土の先達の姿が偲ばれます。
江戸時代から昭和に至るまでの歴史の一幕を今日に伝えるこの屋敷、
熊本市有形文化財として指定されています。
熊本にいながら、知らない熊本の名所旧跡、まだまだありますね。
最後に橋本館長とご一緒に、みんなで恒例の記念写真をパチリ。

さて、次はどこにでかけましょうか?島田会長!
<<<<おまけ映像>>>>
ウォーキング中、カメラに気付くと
このポーズ。


・・・同じDNAを感じます。
りんどう会健康ウォークが行われました。

四季折々、郷土の名所旧跡を巡りながら皆でウォーキングしちゃおう!というこの月例企画、
今回は、熊本市の北部にあります御馬下の角小屋を目指します。

こちら ‘みまげ の かどごや’ と読みまして、
江戸時代に庄屋を務めるかたわら質屋と酒屋を営んでいた堀内家の邸宅です。

在郷有数の商家のお屋敷ということで、
日本古来の重厚な木造建築や、土蔵の白壁の落ち着いた風情はもちろん、
お庭も素敵。

江戸時代、細川・島津の大名は、この屋敷を
参勤交代の道行きの休息所として使用されていたのだそう。

あの篤姫が徳川家へ嫁ぐ時に鹿児島から江戸へ行く途中に休息に立ち寄った屋敷として
ここ数年、観光スポットとしてにわかに脚光をあびているところでもあります。
邸内では、橋本正勝館長がこの邸宅について丁寧に解説してくださいました。

館長が語ってくださったエピソードの一つにまつわる
邸内のある場所の写真がこちら。

これ、なんだかわかりますか?
女性用の厠(かわや)であります。
篤姫が徳川家へ嫁ぐ時に鹿児島から江戸へ行く途中
休息にこの邸宅に立ち寄った時に、供されたスイカを非常にお気に召されて、
3度お代わりし、その度にこの厠へ行かれたんだとか。
橋本館長にはいろんなお話をご解説いただいたと思われるのですが、
今回、参加した方々の口から一様に語られる土産話がすべてこの厠の話でした(笑)。
奥の間の掛け軸に描かれた篤姫も苦笑いかも。
また、この堀内家は、海軍体操の創始者として知られ、
海軍落下傘部隊長としてインドネシア攻略を指揮した
堀内豊秋海軍大佐の生家でもありまして、
この堀内大佐にまつわる資料も展示されています。
先進国が占領地で現地住民に対して愚民化政策をとっていたあの時代にあって、
堀内大佐らは、インドネシアの将来の独立を見越した教育、軍事教練を施すなど
現地住民を尊重した軍政を行い、住民から感謝状を贈られています。
敗戦を迎え日本軍降伏撤退後、
再占領をねらうイギリス軍とオランダ軍の上陸を契機に、
インドネシア人の独立戦争が始まりますが、
この際、日本に帰国することなく、この独立戦争に身を投じ、
インドネシアの人々と共に戦った日本兵が約2,000人おり、
その半数近くがその戦いで命を落としている事実はよく知られるところです。
独立を求めるインドネシア軍との4年間にわたる苦しい戦いを強いられたオランダは、
この戦中、堀内大佐を、B級戦犯として処刑しています。
この処刑にのぞむ堀内大佐が家族に遺したことば

(↑クリックすると拡大表示します。)
時代に翻弄されながらも己の信じる処に従ってまっすぐに生き抜いた
郷土の先達の姿が偲ばれます。
江戸時代から昭和に至るまでの歴史の一幕を今日に伝えるこの屋敷、
熊本市有形文化財として指定されています。
熊本にいながら、知らない熊本の名所旧跡、まだまだありますね。
最後に橋本館長とご一緒に、みんなで恒例の記念写真をパチリ。

さて、次はどこにでかけましょうか?島田会長!
<<<<おまけ映像>>>>
ウォーキング中、カメラに気付くと
このポーズ。


・・・同じDNAを感じます。
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